テリー・ギリアムのドン・キホーテ (2018):映画短評
テリー・ギリアムのドン・キホーテ (2018)ライター5人の平均評価: 3.4
時を経て進化を遂げたギリアム・ワールド
退屈で不条理な日常と、不条理でも楽しい非日常。ギリアムが描き続ける、そんな世界観の進化が本作には見てとれた。
注目したいのは、時間の経過。主人公は10年前に撮った自身の自主映画を再見する。撮影に参加した人々も舞台となった村も、10年前とは変わっている。こうもはっきりと、現在から過去までの時間の経過を意識させるのはギリアム作品には珍しい。
それにより、時を経ても夢を捨てない意思が明確に浮かび上がり、それは長年の紆余曲折を経て本作を完成させたギリアムの意欲にも重なって見える。盟友J・プライスと新顔A・ドライバーの顔合わせに、過去と現在がリンク。同時にギリアムの未来が楽しみになってくる。
すべての人物にギリアムの魂が少しずつ宿っている
一本の映画にかけた、30年という歳月。その執念や怨念を想像しながら観ると、意外なほど軽やかで、いい意味で能天気。そのギャップに妙にホッとする。時間も場所も自由に移動し、現実と非現実の境界もゆるやかな作りはテリー・ギリアムらしいが、奇怪な描写&キャラは少なめの印象で、ギリアムの中でも「かわいい系」グループの一本になった。このあたりは30年分の暴走を自己抑制したようでもある。
カイロ・レン役、『マリッジ・ストーリー』の流れからすると、アダム・ドライバーの演技にはもうちょっと哀愁や切実さを期待したが、とぼけた味わいが天然で生きていて、あのモンティ・パイソンの世界がフラッシュバックする瞬間もある。
製作にまつわるアレコレの方が面白いかも
T・ギリアム監督が苦節20年を費やした作品で、最初の失敗を映画化した『ラマンチャの男』の面白さゆえに見る前から期待が大きすぎた。愛着がありすぎてカットできなかった映像が多いと察するが、とっ散らかった部分が目立つし、やや冗長。ただし芸術への情熱や複雑な人間関係、裏切りや狂気といったテーマは監督自身が映画製作において味わった苦難を想像させる。また頭のネジがゆるんだ主人公がファンタジー的な世界へと逃避する構成は、全盛期のギリアムらしさを感じさせる出来栄え。そして今回、別作品でオスカー候補になっているA・ドライバーとJ・プライスの頑張りは必見!
監督の分身と化す、2人の主人公
このタイミングで、ドン・キホーテが憑依した老人をテリー・ギリアム監督の盟友ジョナサン・プライスが演じることに運命を感じるし、『モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル』っぽいユルめの冒険譚になったと思えば、おなじみ巨人の描写は『バンデッドQ』っぽい。しかも、これだけ待たされたのだから、手放しで絶賛したいところだが、正直カオスと化し、迷宮<<<泥沼にハマったシーンの連続に困惑を隠しきれず。アダム・ドライヴァー演じる主人公は、映画という魔物に取りつかれたギリアム監督の分身といえるが、構想から30年も経ったことで、彼を巻き込む老人も監督の分身になったことが妙に興味深い。
テリー・ギリアム監督の志の実現を祝うべし
テリー・ギリアム監督自身が「最後は夢を諦めない者が勝つ」と宣言し、それを実行したのが本作。この宣言に賛同する者はみな、この映画を見ないわけにはいかない。そしてその実現を祝わなくてはならない。
もちろん、夢を諦めない者ドン・キホーテとは、テリー・ギリアムのこと。本作にはギリアム監督の好きなものがこれでもかと詰め込まれている。中世の欧州、馬に乗った騎士、巨大な顔、道化師、芝居の装置などなど「モンティ・パイソン」時代から「バロン」「フィッシャー・キング」などを経て今までずっと彼の映画に登場してきたギリアム的アイテムが怒濤のように出現。その奔流に呑み込まれて溺れる快感を味わうしかない。