唄う六人の女 (2023):映画短評
唄う六人の女 (2023)ライター4人の平均評価: 4
思いっきり観るものを惑わせ狂わせてくれます。
これぞ石橋義正ワールドと言うべき作品だ。タイトルに反してまったく歌わない、しかも喋りもしない六人の変な女(とりわけ、水川あさみの佇まいが絶品)のコミューンに巻き込まれてしまう二人の男の物語。テイストとしては『狂わせたいの』に近い感じかも。森の中という一種現実離れした空間を生かし、爬虫類や昆虫などのアイテムを多用しつつ、何ともミステリアスかつ不条理な世界をこれぞとばかりに繰り広げている。前作『ミロクローゼ』に続く山田孝之、別に可笑しい演技はしないのにどこかユーモラスな竹野内豊が、いわば女難の渦に巻き込まれるのだから。ここまで徹底的にリアリズムを排除した映画が日本映画界に存在し得るとは稀にして稀。
古き良き怪談の伝統を受け継ぐ寓話的なファンタジー
辺鄙なド田舎で交通事故に遭った2人の男が、気が付くと森の奥深くの一軒家に拉致・監禁されており、6人の妖しげな美女たちから様々な責め苦を受ける猟奇ホラー…かと思いきや、実はこれが環境保護をテーマにした寓話的なファンタジー。大自然の美しさも豊かさも厳しさも酷さも描き込んだストーリーには、日本古来の怪談物語のDNAが受け継がれているように感じる。こういう予想の裏切られ方は大歓迎。明治神宮外苑の再開発問題はもとより、「それ本当に必要?」と首を傾げるような緑地の開発や整備が相次ぐ昨今、人間と自然の共存共栄について考えさせられるという点でタイムリーな映画でもあると言えよう。
人間と地球のための寓話
サスペンスと思って見始めたら『砂の女』のような不条理を帯びていき、シリアスなメッセージへとたどり着く。そんなユニークな一編。
奈良でロケをしたという山中の生命力あふれる風景に、物言わぬ女性たちの神秘性が折り重なり、ファンタジーを構築。そこに人間と自然の共生というテーマを浮かび上がらせる。
自然環境に対してマクロの視点を得ていく男とミクロ視点から脱せない男の対比も面白く、トランプ政権以後顕著になった後者の台頭が現代とも重なり、興味深く見た。昆虫が頻繁に登場し、ラストで「カノン」が流れるせいもあり、戸川純の「蛹化の女」を連想。
山は異界とつながっている
タイトルは市川崑の『黒い十人の女』を連想させ、それぞれ異なる魅力的な女たち描くところは共通だが、本作の根底にあるのは泉鏡花の「高野聖」の世界。男が山でとある家に迎えられ、奇妙な6人の女たちに翻弄される。その家は、"山"にある太古からの異界につながる、人間ではないものたちのいるところで、女たちが山に棲む小さな生き物の名前も持っていることはエンドクレジットで示される。彼女たちの容姿や行動は、この映画の作り手が考える"女性的なるもの"のさまざまな要素を象徴してもいる。ストーリーは謎解き仕立てで現代的な原因のようなものも判明するが、それよりも、主人公と一緒に奇妙な異界に幻惑されていたい。