宮松と山下 (2022):映画短評
宮松と山下 (2022)ライター2人の平均評価: 5
人間の多面性を炙り出す怪作
撮影所のエキストラとして日々違うキャラを演じる男性・宮松。実は記憶喪失だった彼のもとへ知人が訪れ、自分の本名が山下であること、年の離れた妹がいることを知る。劇中劇と現実の境界線をあえて曖昧にすることで、人間の持つ多面性を浮き彫りにする演出が巧妙。確かに人は多かれ少なかれ、時と場合に応じて自分を演じ分けながら生きている。そして、ある出来事をきっかけに過去の記憶が甦ったことで、観客は宮松という男もまた彼が演じる仮面のひとつに過ぎないと気付き、やがて山下という別の男が頭をもたげるのだ。我々は何者なのか?という人間の本質を考察する作品。主人公の得体の知れなさを体現した香川照之の芝居が素晴らしい。
冷静に観れば傑作。ただし冷静に観ることができれば…
主人公の仕事はエキストラ俳優で、同じ作品に違う役で登場しても、観てる人は気づかない。つまり存在を消しつつ、それなりの役割を果たす…という役で、香川照之の演技は徹底して静謐で内省的。タイトルの2つの苗字の意味がわかるにつれ、人間の心の闇がじわりとせり出してくる感じを、これまた微妙な視線の動きや表情の引きつりで伝え、何度か背筋がゾクゾクした。
“映画内映画”のシーンと現実の境界が曖昧になる感覚。人間の二面性。そんな作品テーマを反響させる演出も上級テク。
映像作品は、どうしたって俳優の直近のイメージを重ねてしまうもの。それもひとつの“見方”だと本作で実感。悩ましく想像を掻き立てるシーンもあり…。