青天の霹靂 (2014):映画短評
青天の霹靂 (2014)ライター5人の平均評価: 3.2
『異人たちとの夏』的情緒から『素晴らしき哉、人生!』的感動へ
涙を押し売りせず、適度な笑いを散りばめ、約90分に収める。ウェルメイドなプログラムピクチャー感覚を熟知した新人監督が誕生した。絶望、家族、時の流れ、生の意味――観る者の心に寄り添い、映画的ダイナミズムに対して抜かりない。『異人たちとの夏』的情緒から『素晴らしき哉、人生!』的感動へと昇華させる手腕には舌を巻く。とりわけ1973年の浅草の活気を、長野県上田市に再現したリアリティは特筆もの。
唯一の難点は、物語がありがちなこと。しかし三谷幸喜よりもキャメラのフレームを踏まえていて、山崎貴のように愁嘆場とCGに頼らない。東宝は今後、「映画監督 劇団ひとり」を積極的にプロデュースしていくべきだ。
劇団ひとりの才能にビックリしました
作家デビューした時にいわゆる芸人さんとは一線を画した人だと感じた劇団ひとり。頭もいいし、文才があるのは確かだと思っていた彼が自著を自ら脚色し、監督まで務めたのには驚いた。売れないマジシャンの自分探しという主軸に新味はないが、笑わせどころや泣かせどころの塩梅が上手。しかも強弱の付け方も心得たもの。あまりにも手慣れているのにびっくり。これが初監督とは思えない出来の良さなのだ。芸達者な大泉洋を向こうに回してのひとり本人の演技はやや見劣りするものの、キャラクターに対する本人の思い入れが伝わってきて好感度UP。雷門ホールの支配人役に風間杜夫がハマっているのもなんかうれしかった。
僕たちの『素晴らしき哉、人生!』
劇団ひとりはチャップリンの影響を公言しているが、本作の「どん底まで絶望した男に奇跡が降りてくる」という基本フォーマットはむしろフランク・キャプラの系譜だ。主人公が両親の若き日に対面する展開は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の応用。ここはいかにも70年代生まれの世代的刷り込み感がある。
大泉洋との偽インド人&中国人コンビ「ペペとチン」が本気で笑えたり、全体に芸人のアドバンテージが活かされているが、その最たるものは「人生の光と影」の強烈なコントラストだろう。自分は一歩間違えれば「2」(エースやキングに対する最弱カード)の側なんだ、という浮き草稼業の自覚が痛切なリアリティを支えているように思う。
上映時間96分、プログラムピクチャー感が心地よい
上映時間2時間越えが当たり前になった日本映画で、“『バック・トゥ・ザ・フューチャー』×『ALWAYS三丁目の夕日』”な原作。それだけに、どれだけ膨らましてくるかと思いきや、96分でまとめるプログラムピクチャー感が心地良い。つまり、初監督作にありがちな「やりたいこと全部ブチこみまっせ」な気負いも、ラストなど泣き笑いの押しつけがましさもない。
監督はリスペクトする「寅さん」臭漂う父を自ら演じるが、ここでも芸達者ぶりを発揮。大泉洋との絡みもバラエティでなく、映画として成立している。寄席の描写は甘いかもしれないが、監督の叔父である作家・川島ゆぞのショートショートにも通じる才能を感じる拾いモノである。
あえて新奇さを狙わずに。
まず90分強の上映時間がいい。涙の押し売りを程よく踏みとどまり、さらっと終わってみせるセンスの良さ。正直、初監督作らしい冒険はないが、あえてオーソドックスで丁寧な撮影・照明を選択して、自分の指向する泣き笑いの世界を堅実にモノにしている。主人公が奇術師だけにトランプは常に人生の謂として用いられるが「同じカードは存在しない」というルールのもと、タイムトラベルものとしてはわりあい厳格に「未来は不可避」「パラレルワールドは存在しない」ことを前提に話を進めるのも、物語を簡潔かつ力強くしている。ところでこの映画、案外キイとなるキャストは風間杜夫かも。そのココロは『蒲田行進曲』と『異人たちとの夏』だ。