怪物はささやく (2016):映画短評
怪物はささやく (2016)ライター7人の平均評価: 3.9
少年にとって酷薄な現実を受け容れるために絶大な「物語」の力
観る者の想像力が試される。母に迫る死の影。父性を欠いた家庭。夜ごと少年の前に現れる巨木の怪物。酷薄な現実を受け容れるには「物語」の力が絶大であることを見事に視覚化した、苦いファンタジーである。メタファーと呼ぶにはあまりに直接的な悪夢。美しいアニメの挿入があってもなお、幻想は重く暗いトーンのまま。少年の苦悩の深さゆえだ。表層や建前の向こうにある真実にたどりつくまでのセリフは、やや説明過多で教条的だが、物語を通しても知り得なかったもうひとつの真実を知らせる、原作にないエンディングこそ重要だ。少年は心の中に、独りで怪物を棲みつかせ育んだのではない。家族の魂は、連綿と繋がっている。
怪物が少年に促すのは「正論の呪縛」からの解放
世の中には「こうあるべき論」や「こうするべき論」が多数存在する。親ならこうあるべき、社会の一員ならこうするべき…というやつだ。それらは概ね至極真っ当な意見だが、しかし常に正論が通用するほど人間も社会も単純ではなく、むしろそのような「綺麗ごと」が足かせとなって人々を苦しめ、時として誤解や偏見を生むことにもなり得る。
で、世界的な児童文学を映画化した本作。夜な夜な少年の前に現れる怪物は、彼に3つの皮肉な寓話を聞かせ、少年の心に秘められた闇を暴こうとするわけだが、それはすなわち「正論の呪縛」からの解放を意味すると言えよう。優れた児童文学や児童映画は大人にも意義深い示唆を与える。本作はその好例だ。
その真実、子供に背負わせるには重すぎません?
大抵の人間は心のなかにちょっとした闇を抱えている。それが深くなりすぎると犯罪方向に走るかもだが、本作の主人公コナー少年は闇の存在に気づかないふりをする。毎夜、現れては繊細で孤独な少年の心をかき乱す怪物が彼の思いの一部なのは一目瞭然だが、最後に明らかにさせられる真実はあまりにも重い。不治の病の母を心配し、学校でいじめられ、離れて暮らす父親は期待薄という苦難だらけのコナーが不憫で不憫で…。心の奥に隠した罪悪感を認めさせることが必要なのかは疑問が残るところだ。ファンタジーっぽく撮った心象風景のビジュアルは迫力もある素敵だけど、テーマやメッセージはダークでリアル。
児童文学の枠を超えた人生論
学校でイジメられ、鬼ババとの新生活待ち受ける少年に対し、追い打ちをかける怪物(声:ダークマン)による厭すぎる話、三本立。不条理な現実を叩きつける結末に、思わず絶叫する主人公の気持ちが手に取るほど分かるが、これらはすべて「いかに死を受け入れるか」という普遍的テーマのハードルにすぎない。同じ児童文学原作だけに、『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』と比較しがちだが、まったくもってお門違い。容赦ないダークさは『パンズ・ラビリンス』以上に衝撃的だ。原作にないオチは蛇足にも取れるが、原作者からの贈り物と考えればアリ! J・A・バヨナ監督の次回作『ジュラシック・ワールド』続編にも一抹の不安なし!
ママからの最後の教育、というニュアンス
原作は有名な児童文学だが、J.A.バヨナらしい脚色で映画も傑作に仕上がったと思う。ポイントは『永遠のこどもたち』『インポッシブル』同様、母親と息子の結びつきが強調されていること。古い映写機で『キング・コング』を観る場面が素晴らしく、その“教え”からの連なりで幻想的なアニメーションで描かれる「3つの物語」が展開する。
大枠は生死を巡る試練に直面した少年のイニシエーション物語で、彼のメンターとして機能する怪物が、母親からの使者であることを映画版は明確に打ち出す。そこからおばあちゃん(S・ウィーバー)との絆にまで繋がっていく。ちなみにバヨナ作品常連のジェラルディン・チャップリンもしっかり登場!
全体的に頑張りすぎている印象
学校でいじめられている13歳の少年コナー。母はゆっくりと死に向かっていて、怖い祖母と暮らすことを強いられそうになっている。そんなコナーが心を開く相手は、突然現れた怪物だった。
ファンタジーの要素を含む、ビジュアル的に優れたダークな映画で、ギレルモ・デル・トロの「パンズ・ラビリンス」の線を狙ったのはわかるが(同じプロデューサーが関わっている)、残念ながら達成しきれていない。メッセージの伝え方がややくどく、全体的に頑張りすぎているという印象を受ける。 泣いたという感想も聞いたのだが、筆者は泣けなかった。役者はみんな良いが、シガニー・ウィーバーが無駄遣いされているという気持ちもぬぐえず。
怪物も夜の中に一人で立っている
主人公は13歳の少年だが、映画は彼を子供として描かず、ひとりの人間として描いて容赦しない。彼が向き合わなければならないものは、子供特有のものではなく、年齢を問わず誰もが向き合うことを恐れるものだ。
少年がそれと向き合うために出現する、怪物の姿がいい。古い大樹のようなその形は、異様だが懐かしい。怪物も夜の中に一人で立っている。怪物は少年を別の場所に連れ去ることはせず、ただ物語を語る。怪物は現実とは別のところにいるわけではない。想像力というものの力が、現実と離れたところにあるのではなく、ふとした拍子に現実と不可分なものになる。その静かな揺るぎない力が伝わってくる。