15時17分、パリ行き (2018):映画短評
15時17分、パリ行き (2018)ライター6人の平均評価: 3.5
当事者による「再現」が観る者にその瞬間への心構えを問いかける
いかに興奮と感動を与えようかという野心とは無縁で、87歳の名匠は実にさらさらと撮っている。青年達のありきたりな、だが運命的な生い立ちと、半ば弛緩したパリ観光の後に訪れる、偶然居合わせてしまった無差別テロ。当事者3人が事件を自ら演ずる実験的スタイルは、過度にヒロイックになりがちな物語を中和する。イーストウッドの過去作で対置して語るべきは『父親たちの星条旗』だろう。戦場における“虚飾のヒーロー”とは対照的な、今日における“現実の英雄的行動”。素人が再現する素朴さが重要な意味をもつ。それは、日常的に恐怖に遭遇する危険性を孕む時代のリアリティを高め、観る者すべてにその瞬間への心構えを問いかけている。
過去から今へ、そして未来へ……人生はつながっている
テロから人々を救った米国人観光客3人組のニュースは、すでに知られている。イーストウッドがスポットを当てたのは、そこにいたるまでの彼らの歩みだ。
出会いと友情、軍隊への志願、人命救助スキルの体得はもちろん、欧州旅行計画、ルート変更など、すべてのエピソードはテロ現場での英雄的行動に通じる。どれが欠けても、そこには至らなかった。そんな人生の不思議を伝えている点は、『スラムドッグ$ミリオネア』にも似ている。
“ごく普通の人々に捧げた物語”とはイーストウッドの弁だが、当たり前のように暮らしている“今”が“未来”につながる、そんな人生の真理を最小限の描写で伝える豊潤な語り口さは、さすが。巧い。
イーストウッド新作という触れ込みを忘れ、まっすぐ向き合いたい
ここ数年、実在の人物、実話の映画化が多いクリント・イーストウッドにとって、今作の究極なリアルアプローチは必然だったのではないか。ただし、事件における主人公たちの機転やヒロイズムが共通している前作『ハドソン川の奇跡』と、うっかり比較してしまうと、キツネにつままれたような後味がもたらされる可能性もある。今作の狙いは、どこにでもいる人間が日常を送るなかで、想定外の大事件に遭遇した瞬間の対応を描くことであり、その助走でもある穏やかな日々のシーンに87歳の巨匠の温かな眼差しが満ちる。プロの俳優でこの映画を観たかったという欲求も何度か生じるが、映画への飽くなきチャレンジとして素直に受け止めたい。
平凡な青年たちがヒーローに変わるリアルな一瞬
『ハドソン川の奇跡』でも市井のヒーローを描いたC・イーストウッド監督が挑んだのは、アメリカ人青年たちが活躍したタリス銃乱射事件だ。主役級のスペンサー元軍曹は、高卒後に入隊するも希望は叶わず、柔術の才能を見出したのが救い。彼を含めた3人の平凡な人生を小学生時代からじっくり描くことで、クライマックスの緊張感は嫌が応にも高まる。誰もが恐怖にすくむ瞬間にライフルを構えた男に向かって行く勇気が私たちにあるだろうか? 語り口は巧みだし、演技もリアル。そして偶然が重なってのヒーロー誕生は必然だったのかもと思わせるカタルシスがある。イーストウッドの手腕のおかげで、当事者による再現ドラマは新ジャンルになりそう。
本人たちが本人役で登場するのには理由がある
実話の映画化は数多いが、本人たちが本人役で主演した映画は本作くらいだろう。しかし、映画を見ればこの大胆な手法に納得がいく。本作が描こうとするのは、英雄たちの感動的な物語ではない。それを描くなら、もっとドラマチックなストーリー構成や演出はいくらでもある。だがこの映画が描こうとするのは、普通の若者たちが普通に生活している中で、たまたまとんでもない出来事に遭遇し、その時に素晴らしい行動をした、そういう出来事が本当にあった、ということなのだ。それを俳優たちが演じたら、他の映画と同じ"特別な出来事"に見えてしまうだろう。それを避けるため、本人たちが"演技"ではなく"再現"をしている。
巴里へ行くつもりじゃなかった
最近はバラエティ番組でもその手法が使われている、事件の当事者が自身を演じる再現ドラマ。しかも、イーストウッド監督史上最短の94分という上映時間。だが、『ユナイテッド93』のような全編、緊迫感の連続を期待すると、かなり戸惑う。なぜなら、軸となるのは落ちこぼれのレッテルを貼られた3人組の青春ドラマ。体育会系版『6才のボクが、大人になるまで。』から『ビフォア・サンライズ』といったリンクレイター監督作な趣きから、一気に地獄へまっしぐら! この緩急の差をいかに楽しめるか?で、評価は大きく変わるだろう。また、“学校では教えてくれないこと”が運命を導く、教訓映画でもあるので、そこも含めて、要注意案件である。