ビール・ストリートの恋人たち (2018):映画短評
ビール・ストリートの恋人たち (2018)ライター6人の平均評価: 4
理不尽な社会で家族や隣人の連帯に希望を見出す
オスカー受賞作『ムーンライト』に続くバリー・ジェンキンス監督の新作は、黒人であるがゆえに無実の罪で投獄された若者とその恋人の物語だ。愛し合う男女の前に立ちはだかる壁は高く、その運命はどこまでも厳しいが、しかしジェンキンス監督はその過酷な試練に晒された恋人たちの美しい愛情に焦点を当てていく。そればかりではない、彼らを救おうと奔走する家族たちの強い絆、そしてユダヤ系やイタリア系、ヒスパニック系などマイノリティの隣人たちの良心にも目を向け、弱者が互いに支えあう市井の風景を静かに見つめる。その辺りは来週末公開の『グリーンブック』と併せて見ることで、より一層理解を深めることが出来るだろう。
恋物語が甘いからこそ、現実の厳しさが胸にグサリ
幸せの絶頂にいるカップルが恐ろしい偏見のせいで地獄に突き落とされる、と書くと悲恋のようだが、絶対に愛を諦めないヒロインの姿に胸打たれる。愛の力で輝き、次第にたくましくなるヒロイン役のキキ・レインはとても魅力的だ。
『ムーンライト』でも感じたが、B・ジェンキンス監督はラブシーンの演出がとても巧みだ。ささいや仕草や視線の配り方だけで愛し合う男女の姿に説得力を持たせ、見ている側をメローな気持ちにさせる。二人の愛を濃厚でロマンティックに描き、現実の厳しさや醜さを際立たせるのも監督の狙い通り。ただ、二人に起きた悲劇が今この瞬間にもアメリカで起きていると考えると気持ちが重くなる。
まどろむような心地よさと、シリアスなテーマの融合
『ムーンライト』では、青・ピンク・紫の「光」で妖しい世界に誘ったジェンキンス監督は、この新作で、黄・ブラウン・ゴールド・グリーンの「アイテム」を効果的に使用。舞台は1970年代のNYハーレムながら、あえてそこに違和感のあるカラーを配置し、人物の心情を代弁させる。高度な演出! さらに会話に合わせてゆったりめのパン(カメラの水平移動)や顔のアップを多用し、そこに夢見心地な美しい音楽を重ね、進行する悲痛な事件との強いコントラストを創出するあたりも『ムーンライト』からのアップグレード。豪華な調度品を眺めながら、口当たりの良いお酒にじわじわ酔う贅沢な味わいを受け入れられるかどうか。そこが賛否の分かれ目。
恋は美しく社会は醜い、その狭間に何を見るか?
『ムーンライト』でロマンスと社会性を融合させたジェンキンス監督が、その純度をさらに高めて放つラブストーリー。ここでは甘さと痛みがせめぎ合う。
主人公の黒人カップルの愛の描写は徹底的にロマンチック。この側面だけ見ればピュアなラブストーリーだが、一方ではそれを阻む人種差別がある。美しさと醜さのタペストリーと言うべきか、そんな両極端の要素を織るジェンキンスの才腕に改めて唸らされた。
原作者J・ボールドウィンへの敬意は、詩的な映像にもよく表れている。とりわけ、家族のささやかな幸福を見つめたラスト・シーンはインパクト大。ネタバレ回避のために詳細は省くが、希望とも絶望ともとれて鮮烈に焼き付いた。
ベッドルームと世界の痛みの狭間で
『ムーンライト』に続くB・ジェンキンス監督作だが、本当に独特。演出の呼吸はさらに濃厚で、極上のまろやかな甘み。ブラックムーヴィーの基本線が尖った戦闘性にあるとしたら、これは同じくハードな環境を扱いながら、当たりが丸く柔らかい。カメラは間近で人物に寄り添い、吐息で体温高め。いわゆる風景描写がほとんどない。
原作は1974年の出版だが(音楽ではニューソウルの沸騰期だ)、『私はあなたのニグロではない』が示したように、作家J・ボールドウィンは今の問題として浮上している。混沌とした世界の中、N.Y.ハーレムのストリートで『また逢う日まで』ばりの「純愛」が奏でられる。我々のすぐ隣にもある街角の物語だ。
傑作小説を、最高の形で映画化
ジェームズ・ボールドウィンによる原作小説を、これ以上に良い形で映画にできる人はいないだろう。バリー・ジェンキンスは、原作の文面を随所でそのままセリフとして残しつつ、「ムーンライト」でやってみせたのと同様、とても効果的な形で静けさと光を取り込み、登場人物の感情を観る者に染み込ませていく。警察による人種差別という事柄はスパイク・リーの「ブラック・クランツマン」(やはり傑作である)でも触れられたばかりだが、あの作品の強烈さとは対照的で、そこも興味深い。ジェンキンスほど恋する人を美しく描く映像作家はいないとも、あらためて確認させられた。