カポネ (2020):映画短評
カポネ (2020)ライター6人の平均評価: 3.3
暗黒街の帝王カポネの晩年を演じるトム・ハーディが見どころ
『クロニクル』のジョシュ・トランク監督が、伝説的な大物マフィア、アル・カポネの知られざる最晩年を映画化した作品。かつて全米の市民を震撼させ、FBIをも手玉に取った暗黒街の帝王も、梅毒の進行によって深刻な認知症に悩まされ、まだ48歳とは思えないほど急速に衰弱している。そんなカポネが罪深い過去の幻覚に苦しみながら、次第に精神崩壊していく哀れな姿をトム・ハーディが凄まじい気迫で演じきっており、それはそれで確かに大きな見どころではあるものの、しかし結局のところ作り手がカポネの最期を通じて何を描きたかったのかがハッキリとせず、映画として不完全燃焼な印象は否めないだろう。
忘却の彼方に! 汝の名はカポネなり
暗黒街の顔役だったカポネはこれまで映画やドラマでグラマラスな描かれ方をされることが多かったが、本作でT・ハーディが演じるギャングは哀れそのもの。ベッドで脱糞したり、妄想と現実の区別がつかなくなったり、『オズの魔法使い』を見ながら歌い出したり。言葉も不明瞭で、字幕無しだと意味不明な場面も多数。梅毒って怖い! 老けメイクと作り込んだ声の演技が光るハーディの熱演のおかげで、正気を失いつつある老ギャングとリア王の晩年が被り、実話ドラマに演劇的効果をもたらされる。忘却の彼方に向かうカポネに振り回されるFBI捜査官も登場するが、この部分ははっきり言って不要にしか思えない。
映画を「独壇場」のステージにする役者トム・ハーディの本領
まさに「トム・ハーディ劇場」。“スカーフェイス”の最晩年――王国の没落の只中にいるアル・カポネの最期を赤裸々に演じる(幾つもの瞬間でダブるのが『ゴッドファーザー』のM・ブランドだ)。ギャング映画というジャンルの最大貢献者としてフィクションの中でより神格化されてきた裏社会の成り上がりのカリスマ。本作のハーディはその偶像を墓場に向けて解体する作業を請け負った。
作品組成は“一人芝居”の構造。『ブロンソン』『オン・ザ・ハイウェイ』『レジェンド 狂気の美学』『ヴェノム』といったハーディお得意の全編ほぼ出ずっぱりの系譜に連なる。内的な迷宮を彷徨うカポネの“圧巻の醜態”を軸に全てが設計された怪作だ。
カポネの家の話
悪名高きギャングの意外な晩年を描く意味では、『アイリッシュマン』を意識した感もある。だが、身も心もボロボロになり、認知症を患ったカポネの姿を延々見せつけられる「俺の家の話」ならぬ「カポネの家の話」は、なかなか辛い。そこから狂気と妄想に取り憑かれた男のサイコ・スリラーに発展するも、その重厚感は賛否分かれるところ。過去作でも微妙な親子関係を描いたジョシュ・トランク監督だけに、本作を手掛けたのも分からなくもないが、何とも言えぬ仕上がりに。『レジェンド 狂気の美学』に続き、ガチメイクで実在したギャングに挑んだトム・ハーディの芝居は確かにスゴいが、今回はそれ止まりといった感じ。
哀れな感じはしても、悲しみは感じさせない
最も危険な男の晩年を語る今作は、ほとんどが頭の中で起こる。認知症を抱えるカポネは、さまざまな幻想を見ては怯え、パニックする。トイレもきちんと行くことができなくなった彼に、昔の威厳とカリスマはまったくなく、たしかに哀れな感じはするが、悲しみや同情を覚えさせることはしない。幻想の中で展開するホラーをひたすら見せられるだけで、奥に入っていくことをしないため、引き込まれないのである。ジョシュ・トランクはそもそもそれを求めていなかったのかもしれないが、トム・ハーディは、いつものように声もすっかり変え、完全に役になりきっているだけに、もっと心を揺り動かしてほしかったと思ってしまう。
記憶と妄想と現実が境目を失う世界を端正な映像で映し出す
老いと病のために思考が混乱した男が、過去の亡霊に付き纏われ続ける。彼の目に映るものが映し出される画面は、それが現実に起きていることなのか、彼の妄想なのか、双方は境目なく滑らかにつながっているので、彼自身同様、観客にも区別がつかない。そうした主人公の意識の混濁とは対照的に、映像は端正で明晰。「マルホランド・ドライブ」のピーター・デミングによる撮影は、温暖なフロリダの地を舞台にしながら、光線の透明度が高く、大気は緩くない。主人公の意識は常に冷たく冷えた場所を彷徨い続ける。
監督・脚本は「クロニクル」のジョシュ・トランク。彼が映画で追求したいものは何なのかを知る手掛かりとしても興味深い。