アフター・ヤン (2021):映画短評
アフター・ヤン (2021)ライター5人の平均評価: 3.8
人間性と多様性を考察する端正で美しいSFドラマ
「テクノ」と呼ばれる人型ロボットが一般家庭に普及した近未来。家族同然のテクノ男性ヤンが突然動かなくなり、悲しみに暮れる幼い養女のため修理法を模索した父親は、ヤンのメモリバンクに収められた思いがけない記憶映像の数々に心動かされ、元気な頃のヤンが何をどう考えて感じていたのかを探っていく。人造人間が感情を持つことは可能か?という古典的なテーマから踏み込み、そもそも「人間性」とは何かを探求する作品。主人公一家の多人種な家族構成も重要で、互いに調和しあう多様な文化や人種、家族の在り方も考察される。小津安二郎リスペクトなコゴナダ監督の端正な映像も美しく、最後は静かに湧き上がるような感動を覚える。
日本びいきな監督が描く叙情的SF
今回もカメラワークなどの小津リスペクトに加え、テーマ曲を坂本龍一に依頼、リリイ・シュシュ「グライド」のカバーやUA「水色」のインストを流すなど、さらに日本びいきなコゴナダ監督。ドラマシリーズ「Pachinko パチンコ」で描いたアイデンティティや家族、民族といったテーマを、今度はAIロボットの記憶をめぐるSFとして描く意欲作であり、『アンドリューNDR114』「イブの時間」などからの影響もみられる。前作『コロンバス』同様、淡々としたリズムは心地良いが、あまりに叙情的すぎるのは如何なものか。しかも、チャン・チェ監督作『金臂童』のオマージュ入った冒頭の「家族対抗ダンス合戦」のインパクト強すぎ!
静謐な世界に、東洋の茶の香りがほのかに漂う
物語が、茶の葉が湯の中でふくらんでいくように、ゆっくりと広がっていく。東洋の茶に魅せられて茶葉の販売店を営む主人公と、ヤンという名の東洋系のAI搭載ロボットの物語にふさわしく、世界は東洋の茶と同じ静謐さとほのかな香りに満ちていて美しい。
そこは、人間、クローン、AI搭載ロボットという、人種や文化の違いよりもさらに根源的な、成立の根本が異なる存在がいる世界。そこでは"共存"はどのような形で実現されるのか、"存在する"とはどういう意味を持つのかを考察するストーリーが描かれていく。そういう場所を、小津安二郎を愛するコゴナダ監督が、お茶の香りが立ちのぼってくる静かな世界として出現させている。
見終わってからずっと余韻が残る、深く美しい作品
アイデンティティ、家族、文化、愛、喪失、記憶、さらに人間という生き物についても深く考察していく、瞑想的、詩的な作品。私たちはプログラミングされているのだろうかなどといった、せりふのひとつひとつに重みがあると同時に、沈黙も何かを語る。それでいてお高くとまった頭でっかちの映画になっていないのは、子供の頃に韓国からアメリカに移住したコゴナダ監督の個人的な思いに生まれているからだろう。街の全景や車、電話などが進化している一方(何より話の中心となるのはAIの人間なのだ)、伝統にこだわるお茶の店が出てくるなど、やりすぎない未来図も興味深い。コリン・ファレルは今最も面白い役者のひとりだとも再認識。
たとえAIでも、家族ならば愛の深さはどこまでも…
ロボット共生の近未来映画は数々あったが、ここまで生身の人間に近いビジュアルは珍しい。だからこそ、その“彼”が故障し、失われゆくドラマは、家族の死を突きつけられる感覚で哀しみは深くなる。
冒頭のダンスバトルで、どんなノリの映画になるかと思いきや、そこは監督の前作『コロンバス』の印象どおり、静かに登場人物の心理に迫っていく。アジアンな衣装をまとった主人公一家が「お茶屋さん」という設定も、俳句の“わび・さび”の世界のようで、ゆったり午後のお茶を味わう心地よさ。ただ、前作に最適だったこのリズム感、今回の物語ではもっとドラマチックに波立って欲しかった部分も。静かな感動に物足りなさをおぼえる人もいるかと。