ザ・ホエール (2022):映画短評
ザ・ホエール (2022)ライター8人の平均評価: 4.3
誰しもが持つ偏見や先入観の罪深さ
愛する恋人を失った悲しみから立ち直れず過食症に陥り、極端な肥満体型を恥じて世間から身を隠すように暮らす男性が、いよいよ自らの死期が迫ったことを悟り、捨てたも同然の我が娘との絆を取り戻そうとする。誰でも多かれ少なかれそうであるように、人生に様々な悔いを残した平凡な人物の贖罪と救済の物語。と同時に、外見や属性を理由にした偏見や決めつけを描いた物語でもある。妻子を捨てて男に走った同性愛者、鯨のように巨大化した肥満体型。しかし、彼にはそこへ至った複雑な事情や理由がある。往々にして人は誰かを先入観で勝手に断罪し、相手が自分と同じ血の通った人間であることを忘れてしまいがちだ。その罪深さを思い知らされる。
偏見、思想の押し付けの間違いを訴える感動作
原作の戯曲を書いたサミュエル・D・ハンターは、同性愛を否定するキリスト教の高校に通い、後に鬱、過食症になった。そんな個人的体験から生まれたこの物語には、真実が詰まっている。世間が自分をどう見るかを知っているから、オンライン授業でカメラをオフにするチャーリー。ドア越しにしか話したことがなかったチャーリーの姿をついに見た時のピザ配達人の反応。だが、彼がここへ追い詰められたのには事情があるのだ。偏見、思想の押し付けを否定し、思いやりを訴えるのが今作。クライマックスの感情的なシーンには涙した。映画の脚本を書いたことがなかったハンターに脚色を任せたアロノフスキーに拍手。演技は全員最高。
クジラのイメージが脳裏に積み重ねられていく
映画のタイトルである"クジラ"のさまざまなイメージが、画面に映し出されるのではなく、観客の想像の中で重ねられていく。今も肥満し続ける主人公の体の形が連想させるクジラ。主人公が大切に持ち続けている、娘が幼い頃に書いた感想文で語られる小説『白鯨』のクジラ。そして、近年ニュースでよく見かける、海岸で座礁したクジラたち。それらのイメージが脳裏に積み重ねられていき、映画の最後に、スクリーンの上に想像もしなかった強烈な光景が出現する。
"救い"と"許し"についての物語だが、単純な答は描かれない。救いは予測できない形で出現することもあり、個人の意図とは関係ないところに救いが見出されることもある。
この題材、アロノフスキー監督以外に誰が撮る?
かなり『レクイエム・フォー・ドリーム』な中毒性から逃れられない主人公に、かなり『レスラー』な決裂してしまった娘との関係性と、戯曲原作とはいえ「ダーレン・アロノフスキー監督が撮らずして誰が撮る?」といえる登場人物5人が織りなす5日間の贖罪と救済の物語。ワンシチュエーションの舞台劇特有の張りつめる空気感がスリルを生み出すなか、入れ替わり立ち代わり4人の共演者と迫真のアンサンブルを魅せていくブレンダン・フレイザー。その存在感は、特殊メイク云々以前に圧倒的だが、残念ながらオスカーを逃したホン・チャウの受けの芝居も見事。ジャンクフードにむしゃぶりつく“逆グルメ映画”としても楽しめる。
これぞオスカー演技
多くの苦難を乗り越えてのブレンダン・フレイザーの奇蹟の復帰作。まさに一世一代のパフォーマンス、演技というものを越えた何かを見せつけてくれました。アカデミー賞受賞も納得です。そしてやはりというべきかダーレン・アロノフスキー監督の俳優から通常の演技以上のものを引き出す力の凄みを感じました。『レスラー』、『ブラック・スワン』の実績は伊達ではないです。特異な状況や主人公のアイデンティティーの部分に目が行きがちですが、実は人の絆と希望的な将来を描いたとても普遍的でシンプルな物語でした。
磁場を基点に、ミニマム空間で揺れる物語の妙
舞台劇の映画化ということもあり、一週間の物語はすべて屋内、主に居間で展開される。そこに磁場を築いているのが、言うまでもなく体重270キロ強の主人公。
死期の近い主人公は不仲の娘との関係をやり直したいと願うが、娘はとにかく逆らい続ける。磁場への強烈な抵抗。それがドラマとして成立する面白さに唸らされた。
磁場を築くだけでなく、それを揺さぶられる主人公にふんしたフレイザーは、アカデミー賞も納得の演技をみせる。主人公の不器用なドラマに妙を見いだしたアロノフスキーの硬派演出も、もっと評価されてよいのでは?
ひとつの病んだ魂と肉体への“レクイエム”
原作は2012年初演の舞台劇。この戯曲に出会った時、アロノフスキーは「俺のための物語だ」と思ったのではないか。『π』や『レクイエム・フォー・ドリーム』から、彼の中心的な主題はAddiction(中毒、依存)。主人公チャーリーは自らの内に素食う空虚な穴を埋めるように過食を続け、600ポンドの過度な肥満に陥っている。娘との関係修復という課題や、低迷期にあったB・フレイザーの復活も含め、『レスラー』とはそのヴァリエーションと呼べるほど近い。
驚くのは室内劇として設計されたドラマ的密度の高さだ。メルヴィルの『白鯨』に補助線を引きつつ、極限状況に置かれた人間が必死に光を求める局面に我々を立ち会わせる。
演技そのもので超級の感動を与えることが、たまにある
俳優の演技とはストーリーや演出に伴って感動や興奮を誘うのだが、稀に周囲とは無関係にその一挙一動に本能的に吸い込まれることがある。本作のブレンダン・フレイザーはまさにその貴重な例。過度な肥満による日常での動きづらさ、それでも満を持して行動に出るプロセスの切実さ。全身、末端に至るまで、きめ細かい表現力に俳優のテクニックとはこうあるべき、と教えられる。役柄としても、フレイザーの初期の隠れた名作『ゴッド・アンド・モンスター』と表裏一体として観れば、俳優キャリアの紆余曲折に流れる涙を禁じ得ない。
狭い空間の密室劇ながら、邪悪な部分も含めて主人公の人生・性格を鮮やかに、スリリングに浮き上がる演出も一級品。