落下の解剖学 (2023):映画短評
落下の解剖学 (2023)ライター6人の平均評価: 4.3
アルベニスかショパンか……それが問題だ!
音楽の配置だけで推理を。タイトルクレジットにオフで流れるのは、息子ダニエルがつっかえながらピアノを弾くイサーク・アルベニスの「アストゥリアス」。彼はもう一度、さらに自分への取り調べの後も(父を悼む)この曲に取り組むのだが、寄り添う母親の伴奏で曲が変わる。ショパンの「前奏曲第4番 ホ短調 Op.28-4」で連弾を始めるのだ。
1年後。ダニエルの「アストゥリアス」は上達している。が、重要な法廷証言の前にひとりで弾くのは(母親と連弾した)ショパンのほう。さらにこの演奏は(弱視の)ダニエルが単身、行動する場面にも被さってくる。アルベニスかショパンか……最終結論はエンディングに選ばれた曲なのだと思う。
近年のミステリー映画でいちばん面白いかも!
カンヌパルムドール&カイエ・デュ・シネマ第3位の仏映画。と聞くと難解なアート系を想像するかもしれないが、実はバリバリのエンタメ! J・トリエ監督が『愛欲のセラピー』にも出演したS・ヒュラーとがっつり組んで、夫婦のパワーゲームを主軸に極上のミステリーが展開する。
本当は予備知識ナシで観て欲しいがちょっとだけ。原題“Anatomy of a Fall”の元ネタはプレミンジャー監督の『或る殺人(Anatomy of a Murder)』(59年)。実際構造が近い。さらに補助線を引きたいのは『氷の微笑』(92年)。こちらは主人公像の類似だ。解釈をめぐって盛り上がれる映画としては今年No.1だろう!
カップルというものについての深い考察
彼女は犯人なのか、違うのか。多くの事実が出てくる中で、きっとそうだとも、いやそうではないとも思わせて、最後まで緊張感を保つ。だが、今作が秀でているのは、ただの犯罪映画、裁判ものではないところ。これは何より、カップルを考察するもの。愛し合って結婚し、いろいろ話し合って納得した生活を送っていたふたりでも、長い時間が経つうちに何かが起きたり、どちらかが変わったりして、関係が崩れていったりする。このような事件がなかったにしても、それはあること。それは普段、表からは必ずしも見えないのだ。世間に攻撃される要素を持つ(女性は攻撃されがち)主人公の女性像も、あえて曖昧さを残したラストもリアル。
『シャイニング』より恐ろしい!?
雪山を舞台にした作家一家の話ということで『シャイニング』を連想したが、ある意味、コレよりも怖い話。
事件の勃発を描いた全半から、法廷劇へと転じる後半へ。サスペンスを深めながら、ある家族の関係を浮き彫りにする。妻と夫の凄まじい葛藤や、母と子の揺らぐ信頼がハンディカムによるドキュメンタリーのようなリアリティとともに描かれ、終始心を圧迫される。
事件の全貌を明かすことは意図しておらずミステリー性は薄いが、嫉妬やいらだち、とまどいなどの生々しい感情に引き込まれるうちに、それはどうでもよくなる。女と男の思考の違いも垣間見えて興味深い。
人間というものの多面性を浮かび上がらせる
山荘で転落死した夫に実際は何が起きたのかという謎解きミステリと、その死の容疑者となった妻の裁判を描く迫真の法廷サスペンス、この2つで観客を映画に引き込みながら、この2要素以上に、次第に浮かび上がってくる人間というものの多面性に目を見張らせる。この脚本の巧みさ。
脚本は、本作以前からコンビを組んできたジュスティーヌ・トリエ監督とアルチュール・アラリが担当。ヒロイン、夫、11歳の息子、それぞれの語る言葉は本心を表現しているわけではなく、真意は観客が読み取る必要がある。夫婦間の力関係、親と子、人間の価値観と尊厳、生き方についてのドラマでもあり、さまざまな問いを投げかけてくる。
演技と音楽が事件の真相を撹乱し、心のざわめきが途切れない
基本的には裁判映画。事故死か、自殺か、他殺かという事件で、ドラマチックな動きがそんなにないのに、ついつい前のめりで見入ってしまう。そんな不思議な魔力を持ち得たのは、母親および息子役の俳優の力量(とくに視覚障がいを“演じた”子役が凄まじい!)、さらに事件当時、鳴り響いていた音楽の妙に心を逆撫でするメロディ……と、さまざまな映画的要素の総合力のおかげかも。裁判中のちょっと笑いを誘うセリフの入れ方など、ハリウッド作品とは一線を画すフランスらしいエスプリ効いた脚本にも拍手。
ただ明らかにモヤモヤは残るし、これは他の映画でもありがちだが、この事件でこんなに世の中が騒ぐのかな…というツッコミどころも。