異人たち (2023):映画短評
異人たち (2023)ライター6人の平均評価: 4.3
無数の「孤独なストレンジャーたち」の輝きが見えてくる
「The Power of Love」もいいが「Always on my mind」の歌詞がこんなにも沁みるとは! 映画の余韻が凄い。我々は孤独な“星”で、その瞬きは時に重なり合うことだろう。本作の主人公とパートナー、二人の星――の周囲に無数の「孤独なストレンジャーたち」の輝きが見えてきて、グッと来る。
その直前のベッドでの抱擁は、写真家アニー・リーボヴィッツが撮ったジョン・レノンとオノ・ヨーコを連想した。そう、全裸のジョンが胎児の如く背中を丸め、黒いセーターとジーンズをまとったヨーコにキスをする。それとは向きが逆だが、“最後の一日”を永久に留めたあの一枚のように二人の抱擁は永遠化するのだ。
日本発、切なく悲しいUKノスタルジー行き
『異人たちとの夏』のUKリメイクだが、ご当地の80年代ノスタルジーを取り入れつつ、ゲイの男性の物語に落とし込む。これは巧い設定変更。
孤独を抱えた主人公の今を切り取りつつ、ホモフォビアが渦巻くサッチャー政権下での、地方の男の子の生きづらさを見据える。彼もまた“異人”だったのだろう。
ヘイ監督らしい寂寞とした映像美はもちろん健在だが、80年代のヒット曲もすべてが意味を持って鳴らされる、その配置の妙にも唸った。『リトル・ダンサー』のJ・ベルが父親役を演じるようになったことも、イギリス映画好きとしては感慨深いものがある。
設定変更で一層のこと浮き彫りにされた普遍的な親子の愛情
かつて大林宣彦も映画化した山田太一の小説「異人たちとの夏」をイギリスで再映画化。監督自身の経験を投影すべく、主人公の設定も「中年の独身ゲイ」に変更している。30年ぶりに再会した両親の亡霊。その間に社会の価値観が激変したことを両親は知らない。そんな彼らが今の自分をどう思うだろうか、もしかして失望するのではと心配する息子。一方の両親もまた、自分たちは良い親だったのか、息子の悩みも知らず無自覚に傷つけていたのではと自問自答し、その両者の葛藤が普遍的な親子の愛と絆を浮かび上がらせる。大林版と違ってホラー要素を排したのも大正解。なんとも切なくて哀しくて、それでいて温かくて優しい幻想譚に仕上がった。
聖夜の奇跡にアップデート
お盆の概念がないイギリスだけに、家族が集うイベント=クリスマスに舞台を変更。主人公をゲイ設定にしたことで、亡くなった両親との確執など、心理描写の巧さを見事に捉えたアンドリュー・ヘイ監督作。寄席も、すき焼きもないこともあり、オリジナルに比べると、ノスタルジックな趣はかなりモノ足りないが、そこをフォローしているのが時代を彩った楽曲。なかでも、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド「パワー・オブ・ラヴ(愛の救世主)」の使い方は絶妙といえる。そして、オリジナル公開時に物議を醸したいきなりホラー展開も巧い具合に昇華し、いろいろアップデートされた一作になっている。
人間は誰もが異人である
昼と夜の間の”たそがれ時"の光の中、ガラス窓の表面に何かが滲んだかと思うと、それが窓に映り込む主人公の姿だとわかる。そういう淡い光の中に、リアルとアンリアルの狭間の世界が映し出されていく。
そして原題「All of Us Strangers」通り、人間がみな異人であることが胸に沁み入る。ここは自分の居場所ではないと感じる者はみな異人であり、永遠にここにいるわけではないという意味で人は誰もが異人だ。原作は親子の物語の印象が強いが、本作はそれをすべての人間の物語として描き直す。『荒野にて』『さざなみ』のアンドリュー・ヘイ監督は、これまでもそんな異人が一人で歩く光景を描いてきたのかもしれない。
35年前の大林作品と同じように泣け、改変部分も最適な傑作に
ロンドンを舞台に山田太一の原作の基本は踏襲。しかし主人公をゲイにしたことで、両親との邂逅への導入部がより説得力を持つことに。その後も30年前から現在への“意識”変化が、親子ドラマに巧みに機能し、いま翻案する意味がせり出してくる。
二度と会えないはずだった人との慈しむような時間。そのいくつかの会話で無性に涙腺を刺激される人は多いはず。大林宣彦版でおぼえた違和表現も美しくクリアされた。大袈裟に言えば、ひとつの国のカルチャーがグローバルに受け継がれる“歴史”を味わった気分。
観る前に両親役キャストに抱いた軽い不安感を反省。全キャストが味わい深い。音楽の使い方、要所のスリラー的演出もじつに映画らしい。