フランシス・ハ (2012):映画短評
フランシス・ハ (2012)ライター6人の平均評価: 3.7
夢を見続けるのは自由だけれど…
今風に言うならば“こじらせ女子N.Y.版“といったところか。ダンサーを夢見るヒロインのフランシスは、志こそ高けれどイマイチ行動が伴わず、もはや決して若くはないのに仕事も恋愛も友情も全てが宙ぶらりん。しかも、自覚症状が限りなくゼロの能天気ときたからイタ過ぎる。
そんなピーターパン症候群的な彼女が、いい加減にダメな自分自身と向き合い、やがて現実との折り合いをつけるまでを描くわけだが、人生のほろ苦さを楽天的なユーモアとお洒落なモノクロ映像で包み込んだ心地よさが秀逸だ。
なんとなくノリ的に向こうで話題の女性ドラマ「GIRLS」っぽいと思ったら、アダム・ドライバーがこちらにも出ていて妙に納得した。
原点回帰というよりアマチュアごっこ。
女子ふたりがフザケあうモノクロの画面にジョルジュ・ドルリューの音楽。溢れる台詞を断ち切るように次のシーンへと移るリズム。トリュフォーやゴダール、ウディ・アレンへのトリビュートがそのまますぎて、いささか恥ずかしくなってくる。いや、数シーンだけなら映画史への目配せとして許せるが、全編そうなのだ。ノア・バームバックはウェス・アンダースン映画や『マダガスカル3』の脚本作含めて嫌いじゃない。しかしこれは何本も監督作のある作家がモノする映画ではないぞ、というのが正直なところ(好きな人が多いのも判るんだけど)。夢と親友(多分にレズ的)を諦めきれない女性を“痛く”描く、というのもいささか古いな。
地に足を付けた、笑えないのに笑える快作
今風に言うと“イタ過ぎる女子”の話。こういうドラマを、ケレンなく描けるのがノア・バームバックの強みで、“イタタ”と思う一方で笑いながら見ることができる。
“友達ならわかってくれる”という女友達への過大な期待や、それを見せまいとする強がりなど、依存と見得が交錯する女性の友情のかたち。リアルかどうかは男なので何とも言えない、少なくとも映画の中では真実味があり、それゆえの“イタタ”が生じる。
そんなドラマに説得力をあたえているのがNYのストリートを活写した屋外撮影。イタ過ぎる女子も、ここでははつらつと映える。地に足の着いた映画とは、こういう作品のことを言うのだろう。
ミレニアル世代の『アニー・ホール』が誕生!
ダメ人間を見ると近親憎悪を感じるが、この主人公フランシスは大好き。27歳なのに仕事も恋人も家賃を払う金もなく、自立した親友に置き去られ後のグダグダっぷり。理屈をこねては身勝手に振る舞い、自虐的ギャグを爆裂させたり、親友のブログをストーカー的に読んだり。『アニー・ホール』でウディ・アレンが演じたコメディアンに通じる痛さが笑える。しかもこの危うい感じが放っておけないというか、チャーミングに見えてくるから不思議。脚本を執筆し、主演グレタ・ガーウィッグのとぼけた雰囲気もプラスになったね。フランシスはここしばらく“いかにして生きるべきか”を模索するミレニアル世代の新ミューズとなりそうな予感。
ちょびっとオトナの「ありのまま」
モノクロームはW・アレン『マンハッタン』経由、トリュフォー映画のG・ドルリューに、カラックス『汚れた血』と同じD・ボウイの「モダン・ラブ」……など「キメすぎて恥ずかしいわ!」とツッコミたくなる引用元の嵐だが(笑)、意外に嫌味なく愛敬のある楽しい快作。それは主演と共同脚本を兼ねるG・ガーウィグの「女子の本音」が生々しいからだろう。
女子映画のリアリティについて筆者が語っても説得力ナシだが、しかし『ゴーストワールド』(01年)の自意識をこじらせた地方10代女子が、上京組のアラサーへとスライドしたような印象を持ったのは確か。そして恋愛よりも友愛、身の丈主義な自分探しの旅は『アナ雪』的でもあるのだ!
デヴィッド・ボウイの「モダン・ラヴ」も流れる
27歳の主人公が「自分がもっとも望み、そのため努力してきたことは、実現できない」という事態に直面し、あれこれと抵抗し、やがてそれを認めて、次の一歩を踏み出す。そういう映画は多いが、本作が素晴らしいのは、このテーマを正面から描きつつ、どこまでも爽やかで軽やかなこと。
画面に、主人公が泣くところを映さない。主人公が激怒するところを映さない。けれども、そんなことは観客にはちゃんと伝わる。生活の中心が恋愛ではない人間もいることを、自然に描いているのもいい。
映像は、明度の差を抑えた、柔らかな明るいモノクローム。観客は、映像を自分の好きな色調に変換して見ることが出来る。