TAR/ター (2022):映画短評
TAR/ター (2022)ライター6人の平均評価: 4.8
これぞマジック・リアリスムかも。
ぶっ飛んだイメージが散逸し、異世界に誘ってくれる1本。彼女の師匠はL.バーンスタインという設定で、それはターの人格形成に大きな影響を与えている。無論フィクションではあるが内情を知る人にとっては非常にリアル。実名上等のトリビアはキリがなく、ギャグも一々クラオタ向きで、部外者にはそこが本作の困ったところ。しかし、トップシーンの視点は誰なのか、廃墟となったグラフィティだらけの住まいは一体何なのか、ターの家で聞こえてくるノイズは何なのかなど全編を覆い尽くす謎が魅力的。肝心なところはまったく説明されず、彼女を自滅させることになる事件の実相もよく判らない。何にもまして衝撃のラストシーンは言わぬが華。
こわれゆくマエストロ
トッド・フィールド監督16年ぶりの新作は、完璧主義者の指揮者が見ず知らずに、キャンセル・カルチャーに巻き込まれ、破滅の道を辿っていく。リディア・ターの人物像や背景を丁寧に描くこともあり、前半焦らしまくるフィールド演出だが、当て書きされたケイト・ブランシェットが放つ圧倒的な熱量が牽引し、次第に壊れたジェットコースターのように暴走を始める。ホラー映画ばりの描写は『レクイエム・フォー・ドリーム』を思い起こさせるが、旋律を支配していたはずのターがリズムを狂わされ、制御できなくなっていく様はラストも含め、ブラックコメディとも受け取れる。相変わらず、フィールド監督の性悪さが光る一本だ。
創作行為とは何かを正面から問いかける
近年のハリウッドでもしばしば目にする、ある人物の行動が社会規範に合致するかどうかと、その人物の創作物自体は、切り離して考えるべきか否かという問題について、音楽界を舞台に正面から描いていく。さらに踏み込んで、そもそも創作とはどのような行為なのか、それは何から生じるのか、その価値は何にあるのか、というところまで問いかけていく。そして、トッド・フィールド監督が、それに対する自身の答を提示する。創作することの歓喜は、第三者が奪えるものではない。
そんな主人公を演じるケイト・ブランシェットが素晴らしい。指揮者である主人公が、一心不乱に指揮にのめり込んでいる時の姿が、この物語の核を体現している。
隙のない“性悪”な演出に圧倒される
まずはC・ブランシェットの圧倒的な演技に触れないといけない。ドイツ語とピアノをマスターし、タクトを含めて完璧な指揮者になりきり、カリスマ性やプライド、欲望をも体現。他の役者なら、ここまで強烈なキャラになっただろうか?
主人公は見るからに完璧主義者だが、その完璧がほころび、崩壊する過程をたどる。クセのあるキャラに囲まれ、ジワジワと追い込まれる、そのさまの緊張感に引きずり込まれる。
貧乏ゆすり、呼鈴、メトロノーム、悲鳴などに神経を逆なでされるのはヒロインだけでなく、観客も同様。結末も含め、底意意地の悪い(?)T・フィールズ演出に唸らされた。覚悟して見るべし。
激論を呼び起こす鋭利な大傑作
バッバを女性蔑視者とキャンセルする学生を容赦なく罵倒する権威者リディア・ター。彼女は鋼の芸術至上主義者だがアカハラやパワハラを平気で行使する。自身を「典型的なレズビアン」を称しつつ、国際女性デーの日付もクララ・ツェトキンの名も知らない。だが一方でこの映画はSNS的正義や歴史の軽視を擁護しているわけでもない。
ヴィスコンティ『ベニスに死す』でおなじみのマーラー交響曲第5番(『別れる決心』でも!)を使用し、ブランシェットの演技はアレン『ブルージャスミン』の発展を思わせる。トッド・フィールドは灼熱の問題提起を現代にぶっこむ。ラストの解釈まで含め、あぶり出されるのは我々観る側の思考やスタンスだ。
人間の“不謹慎”な欲望も刺激して、後半はまったく目が離せない
滑り出しこそ長回しカットも多用され、ややもったいぶった展開だが、主人公のキャラに馴染んでくると、そのカリスマ感、傲慢さに有無を言わさず引き込まれ、天才アーティストならではの発想力に何度も唸らされ……と、トップ指揮者の日常に心を持っていかれる作り。冒頭で謎だった部分の真相が、玉ねぎの皮を剥くように明らかになる快感も。
世の中で高い位置にいる人の、スキャンダルや転落を見てみたい。そんな人間の隠れた欲望を後半は躊躇なく刺激してくる。絶対に関わりたくないタイプの主人公で、ここまで心を鷲掴みする映画も珍しく、C・ブランシェットの憑依演技と監督の超絶クールな眼差しが、最高の化学反応を起こしたと言える。