フェイブルマンズ (2022):映画短評
フェイブルマンズ (2022)ライター8人の平均評価: 4.3
スピルバーグ家の人々のお話
映画の最新技術を更新し、世界中の人々を喜ばせるエンターテイメントを作り上げる巨匠スピルバーグが、自身の家族に捧げた自伝的作品。科学と家族を愛していたが、映画を職業として認められなかった父親。芸術とユーモアを愛したエンターテイナーで、自分の思うままに生きようとした母親。二人から影響を受け、二人の間で揺れる主人公が、手を伸ばしたところにいつもあったのが映画だったというわけ。スピルバーグが子供の頃から感じていた映画の恍惚、トリック、畏怖なども描かれるが、「フェイブルマン家」というタイトルでわかるようにメインは家族のお話。スピルバーグが撮影を終えるのが本当に辛かったという気持ちはよくわかる。
過去と向き合ったスピルバーグの豊潤を味わう
スピルバーグには子どもを主要キャラに据えた作品が少なくないが、少年が子どものままでいられなくなる転換ポイントを見据えた現実的なドラマは『太陽の帝国』以来では。
自身の幼少期を素材にしているだけに、つくりがシリアスになるのは当然だが、それでもユーモアは生き、ヒューマニズムも脈づくのはスピルバーグの職人芸のなせる技。言うまでもなく、子役の自然体を引き出す演出も巧い。
成長のドラマの一方で、映画愛というテーマも魅力を放つ。スピルバーグが子どもの頃から映画作りの技巧にこだわってきたことが浮き彫りにされ、映画ファンには多角度から楽しめる。豊潤とはこういう映画のことを言うのだろう。
それは“激突!”から始まった。
初めて映画館で観た実写映画『地上最大のショウ』において、いちばんのお気に入りシーンとなった列車の“激突!”。そこから未来の巨匠が描く“恐怖”が始まったことが語られるスピルバーグ監督立志伝。13歳で撮った戦争映画『Escape To Nowhere』のエピソードなども楽しいが、『E.T.』を語るうえでマストだった両親の離婚問題を描き始めてからは、夫の弟との不倫に走る母親役のミシェル・ウィリアムズの独壇場。さらにジャド・ハーシュ演じるアヤしいおじさんや転校先でのイジメなど、やたら既視感が強いエピソードが続く。そんななか、最後の最後の起こるサプライズからの「THE END」の流れに、★おまけ。
スピルバーグ少年の旅の始まり
フェイブルマンという少年の物語という体裁こそとっていますが、最初から最後までスピルバーグの物語です。ユダヤ系の少年、しかもどちらかというといじめられっ子側の少年が映画と8mmカメラに出逢い映画に魅せられていく様はそのまま彼の物語です。
スピルバーグの新作ということで大作扱いがされていますが、ものすごくミニマムな物語で、かわいらしい一遍です。現実の厳しさとそれへの絶望も描きつつも、映画への愛をしっかり示してちゃんと希望を見せてくれるのがスピルバーグ作品と言えますね。できることならこの映画はシリーズ化がされて、現代のスピルバーグまで辿り着くと嬉しいなと思います。
スピルバーグ映画の精神的なルーツがここにある
50年以上のキャリアを誇るスティーブン・スピルバーグ監督が、初めて自らの少年時代、両親、家族について綴った半自伝的映画である。5歳の時に見た『地上最大のショウ』で映画の魔法に魅せられた少年サミーが、やがて映画監督を目指すようになるまでの成長譚。初めて母親の不倫を知った時の衝撃、女性ゆえに夢を諦めざるを得なかった母親への同情、ユダヤ人ゆえに差別や虐めに苦しんだ高校時代の苦悩。そうした体験のひとつひとつが、その後のスピルバーグ作品の核となっていることがよく分かる。ファンであれば、ああ、あの映画の元ネタはこれなんだ、だからあの映画を撮ったんだと膝を打つであろう
スピルバーグは映画の何に魅せられたのか
ノスタルジックな自伝的映画かと思ったら大間違い。スピルバーグが、映画というものの何に魅了されたのか、何に今も魅せられているのか、それを明瞭に描く、高らかな信仰告白のような作品なのだ。
それでいて、映画の畏怖するべき側面も描かれて、単純な映画讃歌にはならない。ストーリーは、彼の実体験を踏まえた主人公の成長物語であり、親と子のドラマなのだが、その節々で、何度も、映画がそれを見る人に何をなしうるか、それを撮る人にどう作用するか、それを主人公が発見する出来事が起きる。そして、その内容は肯定的なものだけではない。そんな物語が、魅惑的な情景で描かれて、映画の魅力を堪能させてくれる。
戦慄&号泣。生易しい出来ではなかった!
ある種の安牌系かと油断していたら全然違った。「ガチのスピルバーグ」の決定的な渾身作。天才監督が自ら天才たる秘密を晒していく、近頃流行りのオートフィクションの中でも破格にして特殊な究極作である。
全編見所だが白眉は1964年学園パート。主人公サミーと、リーフェンシュタール的な「美神」として映されたジョックスのローガンのやり取りが凄すぎ。『桐島、部活やめるってよ』の映画部・前田と野球部・宏樹の屋上シーンをも彷彿させる会話が廊下で交わされる。スクールカーストを超えた思春期の心の交流のうえ、カメラの前の「美&神」至上主義で動く映画作家の本能、シネアストの本質や宿業を語った極めて重要なシーンだと思う。
映画とは何なのか。巨匠が無意識に気づく数シーンに痺れた
じつにウェルメイドな良作。パーソナルな世界に、観客それぞれ人生を重ねたくなるエピソードが散りばめられた印象。
母の秘密と自身の映画の関係のほか、観終わった後、大部分の人の脳裏にやきつく「あるやりとり」など、巨匠の人生を象徴する描写はわかりやすいが、個人的に2つのシーンが心に突き刺さった。ひとつは、映画が傑作になるのは監督だけの功績でないことに、主人公が撮影しながら呆然と気づく瞬間。そしてもうひとつは、ある意図で撮った被写体が、観る人にまったく違うイメージを与える危うさを知る戸惑い。あえて詳細は避けるが、業界トップの人が今なお揺らぐ自信を露呈しているようで、ウェルメイドな世界を激しく波立たせる。