家族を想うとき (2019):映画短評
家族を想うとき (2019)ライター7人の平均評価: 4.4
少しの“救い”も与えない負のスパイラル
コンビニ経営で話題になった名ばかりの個人事業主になった夫と、交通費もおろか最低賃金しか出ない介護福祉士の妻。“意外なドライブ”を提案し、険悪な雰囲気を和ませる息子も学校では問題児……。ニューカッスル在住ながら、故郷マンUサポーターである親父のキレやすい性格も問題ではあるが、とにかく負のスパイラルが止まらない。しかも、容赦なく家族を守り続けることの困難さを描くケン・ローチ監督は、娘がグレてないこと以外、『わたしは、ダニエル・ブレイク』のような“救い”も与えない。そんな引退撤回してまでも描きたかった「でも、やるんだよ!(by根本敬)」のメッセージは、いろんな意味で受け止めたい。
お父さんの気持ちが痛いほどよく分かる
一般労働者が過剰労働と低賃金に苦しむのは今や世界共通の光景。本作では子供たちの明るい将来を願う父親が、大手フランチャイズと契約のフリーランス、働き方はあなた次第で自由、事業主だから稼ぎは全て懐に…という甘い文句に惑わされて転職したところ、むしろ死ぬまで働かねばならないブラック労働地獄へ突き落され、やがて家族崩壊の危機に直面する。彼のように平凡な労働者でも真面目に働けば家族を養えるような社会の実現を願い、新自由経済型の働き方改革にノーを突きつける巨匠ケン・ローチの渾身の力作。一家の大黒柱としての責任感から自らを追い込んでいく主人公に、我が身を重ねるお父さんも少なくないはずだ。
働けど働けどなお我が暮らし楽にならざり……
映画の終盤、石川啄木の俳句が頭に浮かんだ。個人事業主という名の委託宅配で搾取される夫と心優しい妻、子供たちの日常から伝わるのは、生活費を工面するために大事なものを少しづつ失わざるを得ない庶民のリアル。薄給にあえぐ労働者階級の両親と子供が互いを思いやりながらもすれ違ってしまう現実が切なく、希望の灯すら見えない。高齢者や社会的弱者の実態にも触れていて、さすがケン・ローチ監督と思わせるシーンが多々。富豪26人の資産総額が38億人の貧乏人の総資産と同じという不均衡が成り立つわけだよな〜、と苦々しい気持ちになるが、どういうアクションを起こせばいいのかもわからない自分が情けなくなる。
人生の正解は端末にはない!現代のプロレタリア映画
引退を撤回してまで名匠ケン・ローチが撮りたかったという本作。いつもながらのリアルな労働者階級ドラマだが、“端末”というアイテムを絡めた点に新味がある。
自営業といえば聞こえはいいが、フランチャイズという名の奴隷契約。主人公の配送業者は日本のコンビニ店主のごとく激務を強いられる。正しい働き方は便利な端末の指示どおりにすることだが、交通渋滞や駐車違反など不測の事態は避けられない。そう、人生はコンピューターのようにはいかない。
効率化の名の下で、人と人のつながりは社会的な優先順位を下げる。家族のつながりも、また然り。こんな社会で、あなたは生きていきたいか? 鬼才の問いかけは今回も重い。
徹底して貫かれる、現実への冷静な視点
まさしく、この監督にしか達成できない作風。その「境地」を見る思い。80代半ばにして、なおもパワフルな演出力に首(こうべ)を垂れるしかない。強いて言えば、悪循環を「作りすぎ」な気もするが、観客の胸をひたすら締めつけ続けるという意味で、映画としての効果はてきめん。雇用側のブラックさが際立つものの、社会の現実を照らし合わせれば、彼らの言い分もわかるだろうと、さりげなく伝えるあたり、巨匠の熟練の技か。単に主人公の言動を正当化しない客観的な視点に「映画を作る意味」が強くみなぎる。息子役の外見が一瞬、『SWEET SIXTEEN』の主人公と重なったり、無意識レベルでもケン・ローチ・ワールドが形成された。
いっそ倒れたら休めるのに、倒れないから歩くしかない
監督の前作「わたしは、ダニエル・ブレイク」の主人公は、病気により仕事を失い苦境に陥った男だったが、今回の主人公一家は夫も妻も仕事があり、しかも長時間労働しているのに、苦しい生活からの脱出方法が見えない。夫婦も子供たちも互いを思いやることができるのに、それでは充分ではない。そういう物語なら、最後には何かの変化があるのが通常パターンだが、本作はそうはならない。その何かを描けないのが現状だということなのだろう。ケン・ローチ監督らしいドキュメンタリーのように綴られる日々の中で、バス停留所で隣に座った人のかける言葉、介護相手の老人のジョークなど、通りすがりの人々の描写が、一瞬の輝きを放つ。
自営と非正規雇用に本質的な大差なし!
全く他人事ではない。筆者も含めて本作がリアルに染み入る人は日本でも非常に多いはずだ。家計のためにカネがいる⇒労働を増やす⇒心身の余裕がなくなり家族がギスギスする。この本末転倒の悪循環。効率化が進むインフラの便利さとは裏腹に、よほど優雅な人以外は「時間が足りない」という感覚に生活が覆われているのではないかと思う。
『わたしは、ダニエル・ブレイク』で現代社会の軋みにブチ切れたケン・ローチ御大が、さらに地べたの現実に寄り添って怒りを延長する。特に宅配業者という着眼は「今の時代」そのものだ。いや、自分もめっちゃ利用しているから胸が痛い。原題は不在通知を差すが、別に「お急ぎ」でなくてもいいよなあ。