ミッドサマー (2019):映画短評
ミッドサマー (2019)ライター8人の平均評価: 4.1
トラウマ級の、白の恐怖
ホラー、サスペンス、現代版『楢山節考』と鑑賞者によって幅広い解釈を持たせる本作。中でも人はなぜカルトにハマるのか?という心理的な側面から見ると実に興味深い。人の弱った心に近づき、俗世界から隔離した場所で次々とアメとムチを与えるが如く迫害と共鳴を繰り返して人心掌握していく。美術から衣装まで作り上げた世界観といい非常に緻密な脚本だ。同時に、同様の手段で誘惑するカルト集団は幾多あるわけで、良くも悪くも彼らは創造力溢れたストーリーテラーなのだと思い知る。怖いのは人間の心。そこには過剰な効果音も大胆なカメラワークもいらないのだ。
祝祭(フェス)へ行くつもりじゃなかった
前作『ヘレディタリー/継承』に比べ、さらに『ウィッカーマン』で、アリ・アスター監督が性悪であることを実証。ボスキャラでいいはずのビョルン・アンドレセンの扱いも、いい意味で極悪人である。「ウルルン滞在」目的の大学生が酷い目に遭う話だが、被害に遭うのが、女子プロやってたフローレンス・ピューや顔面凶器ことウィル・ポールターなのだから、リアクションも絶品。また、『ヘブンリー・ボディーズ』(もしくは「スワンの涙」)のエアロ・マラソンばりの舞踊バトルや「あいのり:Swedish Journey」といえる恋愛ドラマも激アツなうえ、『ホテル・ニューハンプシャー』にも通じる狂気の“クマちゃん映画”だったりする。
美しい花々と太陽の光に彩られた白夜の惨劇
言うなれば、アリ・アスター版『ウィッカーマン』である。舞台はキリスト教が伝播する以前の古い宗教的伝統を守るスウェーデンの共同体。そこを訪れたアメリカ人の男女学生グループが想像を絶する恐怖を体験する。北欧の白夜を捉えたベルイマン的な幻想イメージは前作『ヘレディタリー/継承』と対照的だが、しかし観客の神経をじわじわと逆なでしつつ、オペラ的なクライマックスの衝撃へと突き進んでいく演出はアスター監督らしいと言えよう。キーワードとなるのは「家族」と「フェミニズム」。そこを踏まえれば、最後にヒロインが見せる恍惚の表情の意味も見えてくるはずだ。『ベニスに死す』のビョルン・アンドレセンの登場も嬉しい。
一見さわやか、でも狂気的!? 俊英がまたも放つ衝撃作
『ヘレディタリー/継承』からさらに一歩進み出て、アリ・アスター監督が新たに放つスリラーは、家族の悲劇をベースにしながらオカルトを脱却し、またも衝撃的な展開に突き進む。
一見さわやかな白夜の村の大祭。そこから少しずつ異様な側面が見えてくるのだが、『ウィッカーマン』を連想させる死とセックスに強烈なインパクトが宿るのはアスター監督の演出力があってこそで、映像の構図や編集、音響設計のち密などに卓越したセンスが宿る。
ホラーのスタイルを踏襲しつつも、アスター監督は本作をラブストーリーと説明し、なおかつハッピーエンドであると語る。どんな結末かは、とにかくその目で見届けて欲しい。
『ウィッカーマン』を思い出す怪作ホラー
精神的に不安定な妹が一家心中を図る不穏な冒頭に正統派ホラーの気配が漂うが、『ヘディタリー/継承』のA・アスター監督だからヒネリまくる。アメリカ人大学生が夏至祭りを見に訪れるスウェーデンの共同体の天国のような暮らしは落とし穴だらけで、心の奥に徐々に恐怖が広がる仕掛け。姥捨て山エクストリーム版といった場面など背筋が凍るほど恐ろしく、悲鳴をあげかけた。密かに盛られた薬物(ハーブ系?)による妄想や信仰にも似た共同体住民の思想に翻弄される学生たちの哀れなこと。輝く太陽光と残酷なしきたりのコントラスト、美しい花ドレスを纏ったF・ピューの涙に胸を射抜かれ、『ウィッカーマン』を思い出した。
眩しすぎる異文化交流
白夜の中で繰り広げられる残酷譚。
異なる信仰・風習に戸惑い、混乱する辺りなど『ウィッカーマン』や『食人族』などを感じさせます。
さらに言えば底辺の部分では監督の前作『ヘレディタリー継承』にも共通する部分があります。
とにかく違和感の物語です、何せ白夜で夜なお明るく、人々もまた底抜けに明るい。
悲劇的な末路(と見る時点で間違いなのですが)を迎える人々ですら、明るさと喜びにあふれています。
どこか二階堂ふみも重なるピューちゃん、覚悟の顔に儚さも…
監督が監督だけに、スウェーデンの白夜、色とりどりの花、白い服の人たちという今作の「イメージ」が、地獄へのお膳立てになるのは目に見えている。しかし、そんな予想も軽々と超え、思わず目を背けたくなる衝撃ビジュアル、呆気にとられる洗脳体験などが待っていた。こちらの心のざわめきを増幅させるカメラワークも含め、自由奔放なドキドキ感、ジャンルを限定しない味わいは『パラサイト』にも似る。
精神的に追い詰められ、酩酊しながらも、毅然として現実と対峙する。そんなヒロインのフローレンス・ピューは、オスカー候補になった「若草物語」と同様、肝っ玉の座った演技への覚悟が終盤メラメラ。日本でいえば、二階堂ふみが近い!?
「色」と「形」が原初的な恐怖を呼び起こす
すべての色と形に意味がある。画面に現れる建造物の造形、布に描かれた絵、空と花が、その色と形だけで、北欧起源の人々のDNAに埋もれた記憶を刺激するのではないか。それは日本で育った私たちが「もののけ姫」の植物相や装飾物を見たときに、縄文時代の記憶を揺さぶられたと感じたのと同様の感覚だろう。それらの"そんなはずはないのに確かに知っている"と感じさせる色と形は、懐かしくもあるが、畏怖の念をも呼び起こす。なぜなら、それにまつわる恐ろしい出来事をDNAが忘れていないからだ。それを明解にするため、登場人物たちは民俗学を学ぶ学生だという設定になっている。その原初的恐怖は、北欧系ではない観客にも伝わってくる。